ネット依存者の筆者が7日間の「非ネット生活」で得たもの4つ
世の中と絶えずつながれるのがテクノロジーの魅力です。
でも、ときにそれが重荷になります。
数分ごとに押し寄せる膨大なメール、鳴りやまない電話、時間が無いのに見てしまうSNSなど、つながりが過剰ゆえに、人間の基本的な欲求として、少しばかりつながらない状況を取り戻さなくてはいけない思いから、私は夏季休暇の中で7日間ネットのつながりを、断固たる思いで断ちました。
以下は、カナダ・スペリオル湖のキャンプで得た「4つの気づき」を休暇最後の日にまとめたものです。
私は1日15時間以上もネットとつながったデバイスと向き合い、休みなく入ってくる膨大な情報をふるいにかける作業に追いやられていました。
就寝前もよほど「鉄の意志」がないかぎり、あともう少しと心でつぶやきながら、デバイスと向き合いました。
たとえ日本では就寝時間でも、ひとたびネットとつながれば、世界では誰かが仕事をしているので止めどころが難しいのです。
そして全ては、周りが知っていて私が知らない情報があるかもしれないという恐怖からくるものでした。でも、そんな恐怖はどこかへ消えました。
ネットとつながりを断って、3日過ぎたころでした。
他人を気にする関心が消えました。無理に周りに合わせたりすることも少なくなりました。
もっと自分を大事にしなければいけないと思いました。
おかげで私の気持ちはずいぶんと楽になりました。
周りにいた親戚からは、 “自分勝手だねぇ〜” と言われましたが、私はいたって清々しい気分でした。
面白いことに私が周りに合わせると、周りは私を気の利く人間だと思うようです。でも、私が自分に正直でいると、周りは私を自分勝手な人だと思うのです。
人が死ぬ間際に思う後悔として1番多いのが ”もっと自分に正直に生きればよかった” という思いのようです。
ネットとのつながりを断ってほんの7日間でしたが、周りに合わせることが少なくなり、自分に正直になりました。本来ある自然体に戻ることができたのでした。
もちろん休暇だからということは否めませんが、日頃から正直であるべきと改め思いました。自分に正直に行動し発言でき、私の休暇は素晴らしいものになりました。
■気づき2:家族に鈍感だった
私は毎日最低Facebook、Twitter、Pinterest、LinkedIn、Yammerを見ていました。
ほんの7日間だけでしたが、一切それらとつながりませんでした。
日頃ネットと絶えずつながっている生活を続けていると、何か伝えたいことがあったらすぐにSNSで人へ伝えたい衝動に追われていました。
でも、一度思いとどまって再び考えると、それは結局どうでもいいことで、わざわざ遠く離れた人へ伝えなくとも、近くにいる人と楽しく会話すればいいだけのことであったりするものでした。
ネットのつながりで情報はいくらでも取れるので、常に知っている状態でいようと必死になるあまり、その情報をどれだけ早く共有できるかが重要であり、その中身はどうでもいいものになってしまいがちでした。
私の場合は多くがただの自慢でしかありませんでした。
“ねぇ、これ知ってる?え、知らないの?” という具合に。
映画 ”The Internship” の中にスマホの画面に夢中になるあまり、目の前の美女に気づかない「ありきたりの場面」がありました。
ネットでは美女と接していたのかもしれませんが、目の前にいる現実世界の美女には気づかなかったのです。
ネットのつながりを断って7日間、目の前にいる家族の表情の変化を見過ごすことが少なくなりました。
朝昼晩、1日3回の食事を家族と共にし、家族認識の鈍感さをずいぶんと取り戻すことができました。
人生において最も大事なものは何か?という質問に対して、健康よりも、仕事よりも、50%の人が、「家族が何よりも大事」と回答している調査があります。
中でも共に食事をすることは、74%の人が家族にとって1番重要であると回答しました。
今までネットとつながることと引き換えに、何か大切なものを見逃していたのではないかという後悔を感じたのでした。
■気づき3:我慢が足りなかった
早く出世したい!と常に私は焦っていました。
なぜなら、出世すると金持ちになれる、女にもてる、という考えがあったからです。
最近その価値観は若干変わったものの、今も私の頭の中にある考えに変わりありません。
でも、計画と現実は異なります。
まさに以下の写真にあるように。
早く出世したいという焦る気持ちは、日頃の行動にも表れました。
例えば朝の通勤電車では、1分遅れるだけで損した気分になりました。
なぜなら1分遅れることは計画になかったからです。
3分待てば次の空いている電車に乗れるのに、無理に混雑する今居る電車に乗っていました。
なぜなら、少しでも早く目的地に到着したかったからです。
焦る気持ちは変な行動をも起こしました。
会議から会議へ移動するエレベータの中では、エレベータのドアが早く閉まってほしい思いから、”閉まるボタン” を何度も連打していました。
連打したところで何も結果は変わらないにも関わらず連打していました。
私にはエレベータのドアが映画のスローモーションのように見えていたのです。
ネットで他者からの強烈すぎる刺激を受け続けていると、すぐさま何か行動しないと落ち着かなくなります。
立ち止まって考えることは、多大なる損だと思ってしまいます。
ネットのつながりを断って7日間、努力の種を蒔き、多少計画と異なろうとも、焦らず時には我慢しながら目的に向かう必要があることに気づきました。
■気づき4:ネットを断つ勇気がなかった
日頃の過剰なまでのネットでのつながりを断つことで、逆に仕事でやりたかったアイデアの整理、家族との将来について考えれるようになりました。
このつながりを断つ行為は、集中して何かに取り込める時間になりました。
思い返せば日頃の私の時間は、実際に仕事をしている数分の集まりでしかありません。
ネットでつながりながら仕事を生産的に行うのは至難の業なのです。
例えば、15分仕事をすると会議に参加する、10分仕事をすると急ぎのメールに返信する、メールに返信するために、違う人にメールを送信する、返事が遅いとメールで催促する、昔FAXを送るたびに、FAXしますと電話で伝えていたように、永遠にその作業は終わりません。
この集中力の分散は、「ウォールストリートジャーナル」によると、6年も前に警告されています。
”知的労働者は平均3分ごとに作業内容を切り替えている。
再び仕事に戻るために要する時間は30分もかかる”このように作業の合間に集中力を分散させているので、仕事を終わらせるための合計時間は結局1時間くらいしかなかったという具合になるわけです。
私の人生は、ネットのつながりと会議で構成されています。
その習慣をいきなり劇的に変えることはできませんが、集中して仕事を完了させるためには、過度のネットのつながりを断固として断つことが必要です。
テクノロジーの進化で、個人の都合に合わせた働き方ができるようになりました。
しかし、それと引き換えに、仕事を進めるためにネットで絶えずつながる必要が生まれました。
それゆえにネットにつながらないと、仕事をしていない罪悪感を得るようになりました。
でも、安心してください。
別にネットとつながらないことは悪いことではないのです。
未来のデバイスには、逆にネットのつながりを強制的に解除するボタンが必要なのです。
ネット依存者の筆者が7日間の「非ネット生活」で得たもの4つ
http://news.livedoor.com/article/detail/9175135/
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