「学歴は関係ない」は暴論?公平を謳う企業の採用に潜む、隠れた学歴差別の罠
●いつのまにか、学歴差別をしてないか?
「申し訳ないですが、あなたの大学からウチの会社を受けることはできません」
新卒採用で応募した企業からこう伝えられたら、皆さんはどう思うだろうか? 恐らくカチンとくるだろう。
しかし、もしあなたが採用する側に回ったら
「絶対に学歴差別はしない」
と言い切れるだろうか。
無意識のうちに学歴差別・区別をしていないだろうか。
もう10年近く、ネットニュース向けの記事を数多く執筆しているが、学歴ネタは必ず炎上を誘発してしまう。
ただ、その記事に寄せられるコメントなどを見ると
「学歴なんて関係ない」
と感情的に発言する人に限って、学歴を気にしているのではないかと感じたりする。
「ウチは実力主義で学歴は関係ありません」
と宣言している企業があること自体
「ほかには、学歴差別をしている企業があるのだな」
ということを予感させている。
そして実は、この宣言は、学歴に圧倒的な自信はないが、そこそこ自信がある人からの応募を促すことにつながる。自分に自信のない人からの応募を排除することになる。
得しているのは、応募者ではなくこの企業なのだ。
最近では日本経済新聞などでも「学歴フィルター」つまり、学校名により会社説明会の予約が取れなかったり、選考に進めない企業の件が話題になる時代である。
採用活動においては年々、ターゲットとする大学を絞り込んだ採用が行われているが、これは今に始まったわけではない。
昔からこの大学名による企業の差別・区別は何年かに1回、話題になっていた。
1970年代前半には指定校制度【編註:企業が採用活動時に、あらかじめ決められた大学からのみ人材を採用する制度】の問題として国会で議論されたこともある。
また、数々の研究者が大学の選抜度と就職先の関係について研究してきたが、選抜度の高い大学のほうが大手企業に進むことができているという傾向は、ほぼ明らかである。
「ほぼ」と書いたのは、選抜度の高い大学の中には、定員が少ない大学、民間企業への就職者が少ない大学もあるので、測定しきれないからだ。
みんな、この学歴差別のことが少なくとも薄々気になっているのではないだろうか。就活生はもちろん、とっくに社会人になった人たちも。
●隠れた差別に気をつけろ
気をつけないといけないのが、一見すると公平・平等に見える不公平・不平等だ。例えば、次のような企業の採用活動は公平・平等だといえるだろうか?
【A社の採用ポリシー】
当社は、オープンかつクリーンな採用活動を行っています。
「会社説明会の予約がとれない!“学歴フィルター”かも……」
そう思った方はいらっしゃいませんか?
当社では、学生さんがそんなふうに不安にならないために、会社説明会はウェブ上で、動画で行います。
地方の学生さんの負担を減らす意味もあります。
また、エントリーシートは全員分ちゃんと読みますし、面接には必ず参加することができます。落ちた理由はフィードバックします。当社は選考も、入社後も実力主義で、オープンでフェアです。
この環境で戦いたい、皆さんからの応募をお待ちしております。
上記を一見すると、実にオープンかつクリーンな採用活動のように見える。
実際、先日、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)クラスのある大学で『就活の社会学』というテーマで講演した際に、この事例について質問したところ、この選考活動はクリーンだという評価のほうが多かった。
採用担当者200名を前に講演した際は、否定的な評価も多かったが。
これは、新卒採用の現場でよく行われている、見せかけの平等の好事例だ。
一見すると、オープンかつクリーンな採用のようだが、いくつかの罠がある。
仕組み自体はクリーンに見えるが、運用によっていかようにも変えられる。面接に必ず呼ぶものの、そこであまり偏差値の高くない大学の志望者を落とすことになっていて、フィードバックも適当に行うのなら、意味がない。
2000年代半ばの採用バブルの時代には、人気企業ランキングを上げるために、採用するつもりのない大学の学生も会社説明会や面接に呼び、企業の魅力を刷り込んだ上で落とすという手法が一部の大企業で行われた。完全に茶番である。
というわけで、これは運用上、いくらでも差別的なものになる可能性を秘めている。
さて、先ほど「一見すると仕組み自体はクリーンに見える」と書いたが、本当に仕組みもクリーンなのだろうか。
違う。
注目すべきは、この企業説明会や、エントリーシート、面接の中身である。
もし、この中身が、ある特定の大学群や学生にとって有利なつくりになっていたとしたならば、全然クリーンではない。
一定以上の言語能力、論理的思考力が求められる設問が用意されていたとしたならば、入試の選考においても、入学後の講義や試験においても言語能力、論理的思考力が求められる上位校が有利になってしまう。
このように、学校名を問わない採用においても、実は学歴が問われるような選考が行われていることを直視したい。
●「就活に強い大学」「無名だけどお得大学」に騙されるな
「そうか、やっぱり学歴か……」と思う方もいるだろう。
そうだ、学歴だ。
いや、もちろん大卒でも、しかも有名な大学を出ていても、そもそも就職できない人、仕事をする能力が低い人がいることも事実だし、大学を卒業していなくても活躍している人がいるのもまた事実だ。
しかし、その一部の例をもとに、「学歴なんて関係ない」と結論づけるのも乱暴である。
実際、タテの学歴、つまり中卒、高卒、大卒別で見ると、最終学歴による賃金の差は明らかになっている。一方で、大卒の間でも差がついてきているのも事実だ。
だから、「学歴なんて関係ない」と言い切るのも乱暴だし、確かに学歴だけで何もかも約束される時代でもないこともまた、事実である。
ただ、もうひとつ考えたいのは、別に学歴というのは偏差値の高さだけではないということである。
例えば、私が気になっているのは「日本大学出身者は、なぜ楽しそうなのか?」という問題である。
日大は有名大学であり、伝統校である。
しかし、早稲田大学や慶應義塾大学はもちろん、MARCHほど偏差値は高くない。
ただ、日大の卒業生たちはよく「卒業してから、日大でよかったと思う」と話す。
なにせ、マンモス大学で人数が多く、どこにでもOB・OGがいる。スポーツが強く、愛校心も持ち続けることができる。
単純な偏差値だけでなく、このような社会的資本の違いがあるのである。
大学については、「日本の大学は遅れている」「米ハーバード大学には絶対に勝てない」「日本の大学なんて行くだけ損」などという言説もよく見かけるが、これも大変に乱暴で、確かに日本の大学の問題は多々あるが、とはいえ行くことにはそれなりに意味があるということだ。
これに関連して考えたいのは、よく雑誌で報じられる「偏差値や知名度は低いけどお得な大学」である。
確かに名門大学の教育が必ずしも優れているわけではなく、偏差値や知名度は低くても講義内容が素晴らしい大学や、就職率が高いという大学はある。
ただし、これらの事実「だけ」で大学を選んでいいのかという問題はある。社会に出てから大学の知名度や人脈がなくて困ることを、ちゃんと想定しているのだろうか。
かなり近視眼的な理由で礼賛されていることが気になる。
というわけで、学歴の問題は根深い。
好きか嫌いか、賛成か反対かを別として、日本の大学がいくらダメだとけなされていても、学歴にはそれなりに意味があるということを直視したい。
(文=常見陽平/評論家、コラムニスト、MC)
●常見陽平(つねみ・ようへい)
評論家、コラムニスト、MC。北海道札幌市出身。
一橋大学商学部卒業。
一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。
リクルート、玩具メーカー、コンサルティング会社を経てフリーに。
雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演に没頭中。
著書に『「できる人」という幻想 4つの強迫観念を乗り越える』(NHK出版新書)、『最新版 就活難民にならないための大学生活30のルール』(主婦の友社)など多数。
「学歴は関係ない」は暴論?公平を謳う企業の採用に潜む、隠れた学歴差別の罠
http://news.livedoor.com/article/detail/9015038/